崇徳至誠館 落成式 式次第
日 時 平成12年 5月14日 |
一、 開 式 の 辞 |
二、 学 校 長 挨 拶 |
三、 来 賓 祝 辞 |
四、 |
五、 祝 射 礼 |
六、 答 射 礼 |
七、 閉 式 の 辞 |
≪役職は平成12年 当時のもの≫
参 加 者
広島県弓道連盟 | 大野博孝(広島県弓道連盟会長) 平木丈太(広島県弓道連盟副会長) 宮脇保博(広島県弓道連盟副会長) 横山博司(広島県弓道連盟理事) 山本忠博 波多野和男 朝原信義 飯村義和 柳井浩幸 若元秀男 藤岡大和 小川涼子 |
広島県高体連弓道部 | 山本忠欣(県工) 竹弘力三(県工) 安武守昭(県工) 峠本月三(安古市) 三宅 篤(市工) 藤原清貴(市工) 山中 忍(市商) 西村明美(市商) 奥元康男(美鈴) 田中英一(基町) 飯田 敦(基町) 染井真吾(工大) 楽市政彦(工大) 藤重由紀恵(大竹) 藤本浩毅(呉宮原) 吉岡一彦(呉工) 江種慶子(河内) 宮本智恵美(竹原) 戸野法史(因島) 大藤智明(明王台) 西川敏彦(暁の星) |
崇徳高校弓道部OB (崇弓会) |
銭広紀生(3期) 圓山龍渓(4期) 森脇 巌(4期) 宮田洋二(6期) 紙田英明(7期) 滝本英規(8期) 金常 信(8期) 横山博司(10期) 生駒正治(10期) 佐々木慶太(11期) 宮脇保博(12期) 谷 義仁(12期) 多賀谷邦弘(22期) 三浦信治(22期) 藤原友和(38期) 圓山龍寿(39期) 宇都宮裕生(42期) 永田 健(44期) 瀧渕孝美(44期) 諏訪部吏司(44期) 中下智晴(44期) 沖田 健(44期) 織田雄木(44期) 鈴木豊(44期) |
崇徳高校 | 沖本利夫(校長) 薬師寺秀昭(顧問) 笠岡博範(顧問) |
崇徳高校弓道部保護者 | 太田 酒井 大園 水尻 栗原 松原 小田 島原 西藤 中尾 末廣 西澤 河野 茶山 青掛 |
崇徳高校弓道部員 | 太田博士 箕牧光太郎 酒井勝史 大坪 剛 大圏知宏 佐伯達哉 水尻大輔 川光大介 斎藤国広 栗原悠輔 小田 大 石井祐一 織田真弘 村上亮輔 吉田優作 西藤正治 沖土居裕蔵 水口拓也 田中尚文 大城和久 河野賢司 中村篤司 西澤啓介 高松亘平 多賀雄一 中尾洋介 幡 光洋 |
ひきめ
「鳴弦蟇目の儀」
弓は昔、戦いの道具として用いられてきました。そしてまた、同じくらい、古い昔から儀式や祈りのためのものとしても、用いられてきました。 よく知られている「源氏物語」や「平家物語」などにも、お産の時や病気の時あるいは、人生の節々において、「弓ん弦を鳴らす」という形で出てきます。 「鳴弦」は弦音の響きによって、魔性の退散を祈るものです。 これから行われます「蟇目の儀」には「産屋蟇目」「屋越蟇目」「宿直蟇目」「魔縁蟇目」などと様々な、時・所に応じた様式がありますが、基本的には、悪霊を退治し、平穏を祈る、という目的を持って行われているようです。 「蟇目の儀」の由来を、「平家物語」の記述からご紹介します。 今から八百五十年程の昔、鳥羽天皇の時代に、紫宸殿(ししんでん)に夜な夜な異様な鳴き声が聞こえ、人々を悩ましておりました。当時、武勇の誉れの高い源義家に「これ退治せよ」との勅命(ちょくめい)が下りました。義家は深夜に剛弓を持って紫宸殿に上り、「八幡太郎義家、これにあり・・・」と声高らかに名乗りつつ、ヒョウーッと弦打ちせし所、その弓徳に恐れて魔性のものは退散し、以降怪しき鳴き声もしなくなったと伝えられています。それ故、宮中では、親王、内親王の御降誕の際、妖気を払うために「鳴弦の儀」が執り行われてきました。 それより二代後の近衛天皇がご病気の折に、再び怪禽(かいきん)が現れました。毎夜寝殿の屋上で異様な鳴き声を出しますので、源頼政に「打つべし」との勅命が下りました。頼政は郎党の猪の早太と共に昇殿し、大鏑矢(おおかぶらや)を用い、見事に射止めました。ところがこの怪禽は、面は猿、体は狸、手足は虎、尾は蛇といった鵺(ぬえ)という怪物であったと語り伝えられております。 この時用いられた矢、すなわち鏑矢(かぶらや)は「やじり」に穴が開いているため、奇妙な音を発します。この音が、丁度ひき蛙の鳴き声に似ている所から「蟇目」と言われたり、あるいは音が響く所から「響き目」がつづまって「ひき目」と言われたりしていますが、この音が諸悪を払い、万物の霊を鎮め清めると伝えられ、今日では「祝祭典」「結婚式」「新築祝」などにおいて、この「鳴弦蟇目の儀」が行われるようになりました。 こうして立派な道場が完成し、今後の弓道部の繁栄を祈ることとして、ここに「蟇目の儀」を奉納させて頂きます。 |