第52回中国高校弓道選手権大会

平成21年 6月19日~21日
周南市運動総合公園

 6月19日~21日に第52回中国高等学校弓道選手権大会が、周南市緑地公園弓道場で行われた。 


19日】
 
9時00分からの公開練習の受付が、8時30分から開始されるというので、我が崇徳高校弓道部は、1番乗りを目指して、ホテルを7時30分に出発。空からは雨がパラパラと落ちている。7時50分に緑地公園内の弓道場のある建物の正面玄関に(生徒に急げ急げとせかしながら)汗をかきかき到着。見ると、目の前には、興陽高校の仲西監督が、誇らしげに「私が1番乗りですよ」 (^^)v と笑いながら挨拶をされた。聞くと7時30分に着いたとのこと。監督の後方では、興陽の選手たちがいつものように、玄関サイドのガラスになっているその前で、ゴム弓を使って「離れ」の練習を全員がしていた。建物のガラスを姿見にして、射を点検しているのだ。一方、崇徳の選手たちは、今やっと弓に弦を張ろうとしているところ。「うーん、やられたぁ」 (--;) と思いながら、隣に目を向けると、これまた岡山県の芳泉高校の貝原監督が「私が2番ですー」と尻上がりのイントネーションの岡山弁で (^^)/~ 笑いながら、「笠岡先生、出遅れましたね」とけん制される。3番目には、安芸南高校の藤本監督 (^-^) 。崇徳はその次の4番目 (--;) だった。間もなく、岡山南高校の小野監督 (~o~) が到着。更に、各県の監督さんたちが足早に駆けつけてくる。朝早くからの、負けず嫌いの監督の面々が揃ってきたあ。「ベスト5に岡山県が3校、広島県が2校。よって岡山県の勝ちが決定!」なーんて、早朝からテンションの上がる大会だ。公開練習の恒例の「先陣争い」は、6月中国大会の風物詩となっている。
 「先陣争い」といえば、平家物語の「宇治川の先陣争い」が有名。 古来、「先陣を切る」ことが戦いに勝利する大きな要因であった。  
 崇徳の団体の公開練習は4立目の9時20分に第1回目を行ったが、朝が早かったせいか的中はもう一つ。 第2回目は11時20分という今までにない早い時間にやってきた。もしも、昼食に行っていたらと考えると・・・早朝の「先陣争い」が水泡に帰するところだった。それこそ、仲西先生や貝原先生に笑われてしまう。危ない危ない。 
 第2回目の公開練習は18中+(補欠、3中)。6人で24射21中という高的中を出す。(写真参照)その後、少し休んで、昼食をとる。 14時45分から開会式が、1階の体育館内で始まった。終了後には、射場で矢渡しが行われた。射場は建物の屋上にあり、その屋上には遠的射場も備えてあるという驚きの屋上である。 
 16時00分から、恒例の教職員大会が行われた。今年も参加した私は、2中+3中で5中に終わる。個人優勝は7中競射。団体優勝は15中競射だった。我がチームはどちらにも及ばなかった。来年に賭けよう。


20日
 翌20日の朝、9時から個人予選が始まる。崇徳は4人(横川・恒松・住岡・佐々木)が出場する。全員、1立ち目で皆中出来なかった。個人優勝の可能性が無くなる。佐々木・住岡の2名が6中競射に出場したが、入賞出来ず。 12時30分から団体予選が予定通り始まる。崇徳は立順「17番」で9立目。

崇徳 団体予選
恒 松
住 岡
福 原
佐々木
中 田
○○××
○○○○
○○×○
○○×○
××○○
14中

的中は伸びず14中に終わる。予選は通過出来る的中ではあるが、シード権がとれるかどうか、微妙な的中数であった。予選結果は以下の通り。

的中男子団体予選  校名小計累計
15中倉吉西
14中広島工・境港・崇徳
13中広島井口・高松農
12中朝日・八頭・邇摩・野田10
11中広島商・興陽・下関工・米子工・下松工・一宮・益田・大門18
10中津山工・岩国・大田・柳井22
 9中出雲工・岩国工24
 8中出雲・湖陵26
7中以下長府・鳥取工・浜田・基町・南陽工・明誠学院32
的中女子団体予選  校名小計累計
19中高森
14中沼田・下松・出雲
13中益田・宇部中央・大田
12中鳥取西・倉吉西・益田翔陽10
11中岡山南・米子西・津山13
10中宇部西・広島井口15
 9中岡山芳泉・松江商・基町18
 8中米子南・広島工・八頭21
 7中広島商・江津工・宇部・如水館・米子東26
6中以下岩国・興陽・総社南・松江北・光・明誠学院32

 男子は全体的に的中が伸びなかったのが幸いし、なんとかシード権(上位4校)が獲得できた。ラッキーである。決勝トーナメント進出をかけた競射は11中の8校が挑み、2校が落ちる。その2校は広島商と米子工であった。広島商は本当に残念であった。以上の結果、広島県の決勝出場校は「広島工」「崇徳」「井口」「大門」の4校と決まる。
 広島県の女子は「沼田・14中」「井口・10中」の2校であった。女子は9中競射で、基町が競射で予選通過出来なかった。(高森の19中は過去最高の女子の予選的中ではないかと思われる。)
 時間はほぼ予定通りに進み、16時過ぎには抽選会が始められた。抽選の結果、崇徳は1番となり、初戦は野田学園と決まった。今大会で県総体のリベンジを、なんとしてでも果たしたい相手「広島工業」は後半のブロック。よって、直接対決できるのは、トーナメントの頂点である決勝ということになった。

 帰り際に、広島工業の監督に「決勝で必ず会いましょう」と言ってこの日は別れる。


【21日】9:00~ 大会最終日
 決勝トーナメント1回戦がいよいよ始まった。

1回戦崇徳恒 松
住 岡
福 原
佐々木
中 田
○○○○
○○○○
○×○○
××○×
○○○×
15中8中野田

学園
×○×○
○××○
×○××
×××○
○○××


 前半で7対5の2本差、3射目で崇徳が横皆中をし、一気に引き離し、勝負を決める。1時間余り後に準々決勝が行われる。相手は八頭高校と決まった。

準々決勝崇徳恒 松
住 岡
福 原
佐々木
中 田
○○×○
○○○○
×○○×
×○○○
○××○
14中12中八頭×○○○
○○××
○×○○
×××○
○○×○


 1射目が3対3の同中。2本目で1本差がつく。3射目で2本差が付き、そのまま2本差を保ち、準決勝進出を決める。

 次は強豪の倉吉西高校。過去、何度も戦ってきた相手だ。5月の山口フェスティバルでは負けていない、気持ちの上では崇徳が勝っていると確信する。

準決勝崇徳恒 松
住 岡
福 原
佐々木
中 田
×○○○
○○○○
○×○×
○○○○
○○○○
17中16中倉吉西○×○×
○×○○
×○○○
○○○○
○○○○


 
崇徳の大前がいきなり1本目を抜き、相手を有利に展開させる。倉西も3番が外し、すぐに並んだ。
勝負は2射目。倉西の1番、2番が続けて外し2本差。崇徳は3番が外して1本差に縮まる。3射目はお互いに横皆中させ、大いに盛り上がる。拍手・拍手が響き渡る。最後の4射目を倉西の大前が外し、崇徳も3番が外したが、1本差を保ち、辛くも決勝進出を決める。
 さすが倉吉西、16中を出す。

 広島工業は準決勝で下関工業と対戦し、こちらも13対12という1本差で決勝進出を決めた。
 本当に、望み通りになった。

 しかし、なんという巡り合わせ。決勝対決が、本当に実現するなんて・・・。
 6月7日の県総体の決勝リーグ最終戦で16対17で敗れた日のことが、また蘇ってくる。的前審判の誤審という思いもよらない結末で、涙を流したあの日のことが・・・
 本当に悔しくて悔しくて、選手全員が涙を流した。
 しかし、もう悔し涙は絶対に流したくない。その思いは皆同じだ。
 心を一つにして、いよいよ決勝戦の射場に入る。

決勝崇徳恒 松
住 岡
福 原
佐々木
中 田
○×○○
○×○○
○○○×
○○○○
○○×○
16中15中広島工○○○○
×○○○
○○○×
×○×○
○○×○


 崇徳は先手をとって、いきなり1射目から横皆中。
【応援席から大きな拍手が鳴り響く】

一方の広島工業は2番・4番が外し、2本の差がつく。
この差は大きいと思っていたら、なんと、2射目を崇徳の大前と2番が外してしまう。
 広島工業は相手のミスに乗じて2射目を横皆中させて、すぐに追いつく。
【応援席から再び大きな拍手が起こり、大いに盛り上がる】

 意地と意地とのぶつかり合い。前半はがっぷり四つに組む。
 後半に入り、3射目を崇徳が連続して4中させたのに対し、広島工業は連続3中で止まり、1本崇徳が上回る。
 そうして、最後の4射目に入った。
 崇徳が1本上回ったまま大前、2番が的中させて逃げ切れるかに思えたが、崇徳の3番が、わずかに2時に外す。
 同中となった。一瞬、不安がよぎる。
 広島工業も大前・2番と崇徳よりも遅れて的中させて、並ぶ。ところが、広島工業も、3番が外してしまう。痛恨の1射。
 再び、1本差となり、そのまま落前、落が的中させて、崇徳が逃げ切る。

 「・・・勝った」・・・目頭が熱くなってくるのを覚える。 
全選手が本座に戻り、進行係が 「只今の結果、崇徳16中、広島工業15中、よって、崇徳の優勝、広島工業の第2位が決定しました!」
という場内放送が流れる。

「起立、退場!」

選手たちは、胸に熱いものを感じながら一歩一歩、勝利を確認するかのようにゆっくりと歩を進める。

 歩を進めながら、あの忌まわしい出来事が、再び脳裏をよぎる。
 県総体の最終戦では、広島工業と競射で決着をつけようと本座で待機していたのに、的前審判の誤審により、16対17で戦わずして敗れる。
 退場してから、控えで「無念の涙」を涸れるまで流した。

 あれから2週間が経った今日、その「無念の涙」は、未だにはっきりと選手全員の胸の中に残っていた。・・・涸れていなかったのだ。
 この決勝戦は、単に広島工業に勝つためだけの試合ではなかった。
 それは・・・、自分自身の中に未だ残っていた「無念の涙」を洗い流すための戦いであった。

 その涙を流すことが出来るのは、それは唯一「歓喜の涙」しかなかった。
 最後の決戦に勝利した崇徳の選手全員は、控えに戻り、整列して、
 広島工業の選手・監督に丁寧に挨拶をした後、胸の中に溜まっていた「無念」を、全員が「歓喜の涙」で洗い流していた。