崇徳高校 弓道部 : 卒業生からのメッセージ」


 

   岡本 【 立命館大学 情報理工学部 】崇弓会57期生


 私が、崇徳高校弓道部で活動してきて良かったことは、県大会を勝ち抜き、中国大会

さらには全国大会へと進み、中国ブロックや全国大会という大きな晴れ舞台で自分自身

の力を試すことが出来たことが、第一にあげられます。

 また有名大学弓道部へ遠征し、全国トップクラスの大学弓道で、合同練習をした経験

も、貴重な経験として残っています。

 これら多くの弓道部での経験は、これから送る私の人生において、大きな糧となって

いくことは間違いありません。


 高校では、崇徳高校弓道部に入部しようと決めていました。

 私のクラスは、特別進学コースでしたので、
文武両道を目指して3年間取り組もうと

決めて弓道部に入部しました。崇徳弓道部の教えの中の、「勉強好きになろう」「がん

ばりグセを身につけよう」は、私自身の毎日の生活の目標として(とら)えていきました。

何ヶ月か経っていくうちに、自然と勉強と部活との両立ができるようになっていきまし

た。それは、クラブの先輩や部員のみんなが、文武両道で頑張っていこうという雰囲気

があったから、私も、一緒に「がんばりグセ」が身についていったのだと、今、振り返

ってみて感じています。弓道で鍛えた集中力は、学習面でも効率を上げてくれました。

 私の、高校生活の最大の山場(やまば)は、最後の年の広島県高校総体の試合でした。3年にな

って、練習時間が他の部員に比べて、限られてきたせいか、的中率が落ちていきました。

この試合で結果が出せなければ、引退となります。私はインターハイに出場して、「日

一」を(つか)むという目標がありました。

 広島県高校総体の試合では、崇徳チームの団体のメンバーには選ばれませんでしたが、

個人戦の選手として出場することになりました。試合当日、予選1回戦を迎えました。

これまで以上の緊張感を身体全体で感じました。その時に、監督の笠岡先生の言葉が浮

かんできました。その言葉は・・・。

 しばらくして・・、我に返った時、表彰式で、一番目に名前を呼ばれていました。

 3年間の高校生活を一言で語ることは、到底出来ません。一時は、私自身、将来の不

安や迷いから、低迷した時期もありました。しかし、広島県高校総体で優勝できたその

歓びは、言葉では言い尽くせないほどの最高の瞬間でした。日々の努力の「がんばりグ

セ」が実を結、笠岡先生の言葉を信じて弓道を続けてきたことが、間違いでなかった

と実感しました。

 先生のもとで、弓道を学ぶことができたことを、心から感謝します。




            

 
        ある時は遠征先で、ともに語り合った仲間。

        
ある時は苦しい中を、ともに励まし合った仲間。

        ある時は勝利を(つか)んで、ともに歓喜した仲間。

        最高にすばらしい仲間と出会い、

        最高にすばらしい経験を、ともに味わえたことも、


        高校生活の最高の思い出となっています。










    祥太
関西学院大学 人間福祉学部 】崇弓会57期生


 崇徳高校弓道部で過ごした3年間は、とても充実した3年間を送ることが出来ました。


 弓道の技術だけを磨いていくだけでなく、社会人になるための礼儀やひとつひとつの事がらを一生

懸命に努力していくことを、学ばせていただきました。そして、なによりも素晴らしい先生方、信頼で

きる仲間に出会えたことが、最高の財産となりました。

 中学生の時、私は部活に入部していたものの、やる気が無くその日その日の気分で部活に参加

していました。

 崇徳高校に入学してすぐのオリエンテーションのクラブ紹介の時に、弓道部に興味を持ち、中学校の

ころと同じ軽い乗りで入部しました。入部して驚いたことは、「日本一」を掲げて、全員が日々の練習に

励んでいたことでした。本当に、「日本一?」と半信半疑で、先輩の出場される試合の応援にはじめて

行ったところ、試合のほとんどを優勝していかれるのでした。しかも、崇徳のチームが出場してくると、

なにか、ただならぬ「オーラ」のようなものが、発せられていき、他を圧倒するのでした。今までに味わ

ったことの無い「感動」を、先輩方の試合を観て、覚えました。ただ、ただ、「すごい」としか言いようが

ありませんでした。こういったオーラを発する崇徳高校弓道部であるなら、「日本一」も夢では無いと

確信し、本気で取り組んでいくようになりました。

 高校2年7月に、私は主将の任に就くこととなりました。その時、崇徳はンターハイ(全国高校総合

体育大会)出場が、団体・個人ともに決まっていましたが、当時の私は調子が悪く、選手には選ばれず、

マネージャーとして参加しました。少し複雑な気持ちを持ったまま、インターハイの会場に行きました。

私は、そこで堂々と射る崇徳のチームの選手たちや、強豪校といわれるチームの試合振りをこの目で

観てきました。その時、次は、必ず選手として晴れの舞台に立って自分の持てる力を、発揮していこうと

強く決意しました。

 また、笠岡先生からは試合の勝ち負けに関係なく、いろいろなことをクラブ活動を通して教わりました。

試合前の控えでも、
先生に掛けていただいた言葉は、今も忘れることが出来ません。その後は、県新人

で団体、個人ともに優勝。
西日本大会でも、団体、個人ともに優勝、中国大会でも団体優勝。さらに

は、全国大会にも駒を進め、好成績を収めていくことが出来ました。

 こういった成績が残せたのは先生方や良き仲間たち、そして家族が支えてくださったお蔭と、本当に

感謝をしています。
 
 私のこれまでの人生の中で ( まだまだ短い期間で、これからの人生ですが)、崇徳高校弓道部と出会え

て、本当に良かったと心から思っています。いや、もし、崇徳高校弓道部に出会ってなければ、今の私は

存在していないと言えます。

 そして、これから入られる新入生の皆さん、弓道部で3年間、全力で取り組めば、何ものにも勝る大きな

財産を手にすることは、間違いありません。

 新入生の皆さんの、健闘を祈ります。

 「日本一」を目指して、頑張ってください。
 
 


                








     
枡本 【 関西学院大学 人間福祉学部 】崇弓会57期生


 私は、日本一を目指す崇徳高校弓道部の活動に身を置く中で、かけがえのない「親友」と、自分

自身を高めてくださった先輩方、そして指導してくださった先生方と出会うことが出来、心から感

申し上げます。

 
 私にとって、とても充実した高校の3年間を送ることが出来ました。

 私は、中学3年生の時から、弓道がしたくて、弓道部のある学校を選んで、崇徳高校に入学しま

した。

 崇徳の弓道部の道場は屋上にありました。その弓道場に行くには、6階から更に上に上がる階段を

行かなければなりません。ところが、その階段付近が、異様な雰囲気に漂い、なかなか勇気を出して、

その階段を上がることができませんでした。というのも、その階段の踊り場に、古い旗(幟)のようなも

のが、いくつも掲げられていて、その旗(幟)が異様な雰囲気を漂わしていたからなのです。

 入部してからは、先輩方から「弓道は高校から始める人がほとんどだから、頑張れば、日本一も夢で

は無い」と言われ、日本一を目指してスタートしました。
 
 しかし、中学時代に骨折した左(ひじ)が、なかなか思うように言うことを聞いてくれず、最初は弓をうま

引けず、悩まされました。本当に、ゆっくりでしたが、 ・・・  練習をしていきました。

 その結果、全国大会に5回も選手として出場することが出来ました。途中、スランプがあったりもしまし

たが、監督の笠岡先生・顧問の先生方を始め、すばらしい先輩の方々や仲間とともに戦うことができた

とは、最高の思い出です。もちろん、家族の支えがあったればこそと深く感謝しています。

 崇徳高校弓道部のお蔭で、一つの目標に向かって一生懸命に努力していくことの大切さと、人間的に

成長することの大切さを学びました。本当に、崇徳高校弓道部と出会えて良かったと思っています。

 これからも、崇徳高校弓道部で学んだことを忘れずに、次の目標に向かって進んでいこうと決意してい

ます。









     裕二【 広島大学 経済学部 】崇弓会55期生 
   

 私の高校生活の最高の思い出は、最高の仲間と最高の先生方と一緒に、高校の三年間を

過ごせたことです。

 崇徳高校弓道部の目標は日本一です。日本一を目指し部員全員が厳しい練習を通して、お

互いを高めていきます。その中で私は、共に泣き、共に笑いあえる仲間と出会えました。

仲間と共に目標に向かって、技術を高め、理想の射を求めて日々の練習を重ねていきました。

試合を前にして、時にはプレッシャーに負けそうになることもありましたが、お互いに激励し合い、

支え合っていきました。三年の最後の夏は、これまで自分がやってきたことの集大成だと思い、

県総体に全力で挑んだ結果、団体優勝し「沖縄インターハイ」にも出場することができ、部活動

の最後の最高の思い出を残すことができました。                               

 インターハイが終わって広島に戻ってきてからは、弓道のことはいったん忘れ、次の目標を大

学合格に切り替え、全力で受験勉強を始めました。ある時、夜遅くまで教室に残って勉強をして

いたときに、後輩の部員たちが激励にやって来てくれて、感激したこともありました。弓道部顧問

の先生方にも、毎日のように勉強を見ていただき、とても感謝しています。そうして、多くの仲間

や先生方に支えられて第一志望の大学に合格することができました。現在、大学では勉学に励

みながら、大学でも弓道部に籍を置き、次の目標に向かって毎日練習しています。

 部活動をすると勉強がおろそかになると言われる方がいらっしゃるかもしれませんが、私はそ

うは思いませんでした。部活動の時間によって勉強ができなくなるのは、ほんのわずかです。逆

に、弓道を本気でやっていると、自然と授業にも集中できるようになり、何事にも全力で取り組め

るようになっていけます。部活動で燃焼した時間は、自分の能力を鍛え伸ばしてくれた最高の時

間だったと思います。

 みなさんも高校の三年間は、目標に向かって一生懸命に取り組んでいってほしいと思っていま

す。全力で頑張っていったなら、三年後には必ず大きな成果が得られると思います。私は高校の

三年間、弓道部に入って本当によかったと思います。みなさんもこれから素晴らしい高校生活を

送れることを願っています。




      
  









   佐々木 【 電気通信大学 情報理工学部 】崇弓会55期生
 

 
私が崇徳高校弓道部で活動してよかった事は、学校の中だけでは経験できなかった多くの事

を、経験できたことです。崇徳高校弓道部は、年に何度か他県へ遠征して練習試合をしたり、

中国大会さらには全国大会に出場することもあります。その遠征費は大変な額になります。し

かし、その遠征費の多くは学校生徒会やその他(強化費等)のおかげで、格安に行くことがで

きたことは本当に助かりました。

 私は、弓道部を引退するまでに、全国大会に4度も出場させてもらいました。中でも、一番印象

に残っているのは、初めて出場した全国大会の「奈良インターハイ」です。別名を「近畿まほろば

総体」と言います。それ以前にも遠征は、何度か経験していたのですが、それは団体戦のメンバ

ーとして参加していました。しかし、この時は個人戦で、しかも全国大会に行くのは初めての経

験でした。

 試合会場である奈良県の橿原(かしはら)市に現地入りしたこの時は、夏の暑い日で、そこの仮設練習

(42人立ち)で練習をしたのですが、まったく(あた)らないのです。そこから、監督の笠岡先

と必死の戦いが始まりました。射形をチェックし、何度も何度も良くないところを見つけては、

直していきました。汗が、体全体から吹き出してくるのを覚えました。猛暑が続くなか、試合会

場に入る直前まで、笠岡先生と一緒に仮設練習場で最後の調整を続けました。そうして予選

1回戦を迎えました。緊張感はあったものの、1本目が的の真ん中に入り、予選通過ライン

4射3中を達成することが出来、準決勝へと進むことが出来ました。準決勝に進んでからさら

調子が上がっていき、的中を一つ一つ重ねていき、4射4中と全てを的の真ん中に入れるこ

が出来ました。続く、決勝に入ってからも不思議と精神面は安定していて、的中を重ねていく

が出来ました。

 この時の経験から、私は、たとえ、どん底の状態に(おちい)っても、必死になって取り組めば、自

分の中で集中力を最大限に高められ、必ず、上向(うわむ)いていけるという自信をつけることができ

たように思います。この時に身につけた集中力の仕方は、後々の大学受験の勉強方法にも、

大きな影響を与えてくれたと思います。

 話しは変わりますが、私は文武両道を貫いていこうという信念を持って高校生活を送りました。

元々そんなに勉強のできる方ではなく、高1の時の数学の模試の偏差値は、50にも達していま

せんでした。学校の授業と並行して、弓道部でいろいろな指導を受け、いろいろな経験が出来た

おかげで、1年後には、数学の偏差値が飛躍的に上がりました。なぜ、飛躍的に上がったのかと

言いますと、それは「楽しむ力」を身につけたからだと思います。勉強すること自体が楽しいとで

も言ったらよいのでしょうか。

 笠岡先生から、入部してすぐに「ガンバリグセを身につけていこう」と、何度も指導を受けました。

「頑張ることが癖になる」つまり「意識しなくても、特に苦労しなくても、自然と頑張れる」というの

であります。それが、私の中で勉強することが「楽しむ力」へと発展していったのではないかと思

います。

 偶然にも、今通っている大学のポリシーに「楽力(がくりょく)をつける」、というものがあり、非常に驚きまし

た。この「楽力」は非常に重要だと思います。学力をつけるには継続して学習することが重要です。

継続する方法は、人それぞれにあると思いますが、私の場合は「楽しむ」ことでした。学力をつける

には「楽しむ力」、つまり「楽力」が非常に重要であると考えます。「楽力」は楽しむ力であると同時

に、「楽しさを見つける力」でもあります。(但し、目的を誤らないようにして、人間として正しい方向

に「楽力」
を向けていかなければなりません)

 私は、「楽力」を身につけた事で、志望する大学に合格することができました。みなさんも「楽力」

を身につけて、楽しく「文武両道」を貫いて、高校生活を送ってほしいと思います。







   
 福原 太朗【 関西学院大学 総合政策学部 】崇弓会55期生


 私は、高校生活の大半を崇徳高校弓道部で過ごしました。

 この三年間は、私の今までの人生で最も充実していた三年間でした。

 崇徳高校弓道部で学んだことは、これからの人生の糧となると思います。

 弓道部での部活動は、弓を引くだけではありませんでした。

 文武両道を心がけて、学業面も頑張り、礼儀など人として当たり前のことを多く学ば

せていただきました。

 入部した当初、私は特に勉強が出来るわけでもなく、得意なスポーツがあるわけでも

なく、礼儀も知らない普通の高校生でした。しかし、弓道部で日々を過ごしていくうち

に、私は変わっていくのを自分の中で感じました。

 『部活に入っていると勉強が出来ない』と、よく聞いていたのですが、実際は違いま

した。弓道部に入ってから無駄な時間を過ごすことが少なくなり、短時間でも集中して

やることが出来るようになりました。その結果、学業成績が良くなり始めていきました。

それとともに、弓道も上達し始め、試合でも良い成績が増え始めました。

 三年になってからの自分達の試合は連戦連勝でした。団体優勝はもちろん個人戦も上

位を独占するなど数多くの試合で、崇徳の名を高めていきました。みんなで力を合わせ、

それぞれ苦しい時などにも、助け合いながら乗り越えてきただけあって、優勝した時な

どの喜びは素晴らしいものでした。

 顧問の先生、家族の支えのもと、弓道部で出会った仲間たちと力を合わせ、全国選抜大

会、インターハイ、国民体育大会など、数多くの全国大会に出場することが出来て、また

仲間と共に全国のいろいろな所に行けたのは、最高の思い出です。

 そして、私は高校生活で学んだこと、得たことすべてを出し切って、大学に合格するこ

とが出来ました。崇徳弓道部に入ったおかげで私の人生は、大きく変わったと実感してい

ます。

 本当に崇徳弓道部に出会えて良かったと思っています。

 崇徳高校弓道部で過ごした三年間は、私の青春時代の宝物です。



 



     和志【 福岡大学 商学部 】崇弓会55期生
 


  私は崇徳高校弓道部で、これから社会人になるために必要な、「礼儀」や、物事を続けてい

く「根気」、「努力」を学び、かけがえのない「親友」と出会うことができました。

 私が中学生だった頃、ある運動部に所属していました。その部活は、クラブの道具がある

だけで、指導者もなし、部員のやる気もなし、というとてもひどい部活に入っていました。私は

その部活で部長を一応やってましたが部員にまとまりもなく、好き勝手やっているので面倒に

なり、ついに部長を投げ出して、しまいには部活をやめてしまいました。

 崇徳高校に入学し、弓道部に入るまでの一か月間、授業に出て帰るだけのやる気のない毎

日を送っていました。弓道部に入りたい、とは思っていましたが、当時の自分には屋上に貼っ

てある「弓道部員以外立入り禁止」の貼り紙を前に、訪ねる勇気がなかったのです。しかし退

屈な日々の繰り返しが嫌になり、ついに入部しようと決意しました。「まあどうせ、ゆるーい部

活なんだろうな」と、なめてかかっていました。なので、笠岡先生から「うちは日本一を目指す

部活じゃけえのう」と、言われた時は正直、入る部活を間違えたかな、と思いました。でも、

「@ 高校から始まる部活なのでスタートラインはみんな一緒、A 努力すれば日本一も夢では

ない、B 崇徳高校弓道部には優れた環境と優れた指導者のもとで練習が出来る」という3点

に惹かれ、3年間全力で頑張ろうと心に決めました。

 しかし、4月から入った同級生と5月の下旬に入った自分との間には大きな実力の差を感じ

ました。同級生を追い抜くためには並々ならぬ努力と、教本などの知識を蓄える必要があると

感じ、日を増すごとに矢数(引いた矢の数)も増え、どうすれば矢を真っ直ぐ飛ばすことができ

るか、どうすれば試合で緊張しても的中できるのかを、時間があればいつも考えていました。

ふと、努力していくうちに気づきました。「一つのことを一生懸命に頑張ることが、こんなにも素

晴らしいことなんだな、今が人生で一番輝いてる時なんだな」ということに。そして、これこそが

笠岡先生がいつもおっしゃていた「ガンバリグセなんだな」と思いました。そして日々の努力が

実ったのか、2年生の4月の中国大会予選(県選手権大会)で、初めて個人8位入賞すること

が出来、中国大会に個人出場することが出来ました。

 先輩方が引退し、新体制になった2年生の終わりの3月に、初めてAチームで試合に出ること

が出来ました。それは福岡大学杯という、福岡大学主催の大会でした。福岡大学弓道部は全

国的に有名で、日本一の栄冠に何度も輝いている大学です。そこで、福岡大の監督から指導を

受けました。自分の癖をすべて見抜かれ、どうしたら修正できるのかをわかりやすく教えてくだ

さいました。試合も8射8中することが出来、遠征の中で最も思い出に残る大会となりました。

心の中で、この福岡大学に入りたいと思いました。

 みなさんはこれだけ部活のことばかりしていて勉強がおろそかになるのではないか、と思われ

るかもしれませんが、そんなことはありませんでした。あくまで自分の意見ですが、部活動が理

由で学業がおろそかになると言う人はたいてい、部活をしなくても成績は良くないと思います。

限られた時間の中で集中して勉強するほうが、だらだら長い時間かけてやるより効率がはるか

に良かったです。弓道自体が、勉強と共通するところがあるので、きっと学業の役にも立ちます。

 私は今、念願叶って福岡大学弓道部に所属しています。福岡大弓道部に入部してから、「崇

徳の人って礼儀正しいね」と、よく言われます。高校で学べたのは技術だけでなく、礼儀も学べ

てたんだなと実感しました。

 私の人生は、崇徳高校弓道部に入って180度変わりました。一生懸命頑張ることで、こんなに

も人生を変えてくれるんだなと思いました。私の代の部員全員が崇徳弓道部に入ってよかったな、

と思っています。これから入る皆さんもぜひ3年間頑張ってみてください。きっと、弓道部に入って

よかったな、3年間続けてよかったな、と感じる時が必ず来ると確信します。







    矢可部 【 龍谷大学 理工学部 】崇弓会53期生

中学校の時は卓球部に入っていたのですが、あまりやる気が起きなかったため、

半年で辞()めてしまいました。崇徳高校に入学してから1ケ月が経ったころに、

このままの状態で高校生活を過ごしてもいけないと感じ、変化を求めて弓道部に

入りました。最初、練習風景を見たときは「なにか難しそう」と思いました。でも、

高校生から始める人がほとんどと聞いていたので、ガンバッてみようと思いました。

 練習を始めてしばらくすると友だちも出来、練習も楽しくなっていきました。しかし、

1年生のときは、いくら練習しても、矢が的にあたらないので、辞めてしまおうと思っ

た時期がありました。しかし、それでは、中学校の時と同じことの繰り返しになると

気づき、3年間は絶対に続けようと決意しました。そして、今までやってきた練習を

振り返り、繰り返し練習をしていきました。その練習方法が実ったのか、半年後の

2年生の広島地区大会で、はじめて個人戦で7位の賞状を手にしました。その時は、

目頭が熱くなりました。
個人戦で入賞してから、慢心に陥ってはいけないと、常に、

自分の射形を点検しながら、練習を重ねていきました。

 当時の監督の笠岡先生に認めていただき、正月の西日本大会の選手に選ばれました。

試合では、普段の力を出すことができ、予選を突破し、決勝トーナメントに入ってからも高

的中を出すことが出来、最後まで勝ち続け、見事、優勝することができました。その時の

感激は、今でも鮮明に残っています。ただ、この時に気づかされたことは、努力はしなけ

 ればならないのは当然だけど、量だけでなく、質が伴わないと、本当の力は身に

つかない、また勝利を得ることも出来ないと強く感じました。

 この後、春の全国選抜大会(東京)、さらには秋の国民体育大会(大分)にも出場するこ

とが出来ました。

 振り返ってみますと、1年生の時は、部内で一番不器用で、なかなか上達することができ

なかった自分でした。しかし、生に励まされ、また、よい仲間にも恵まれて、一生懸命に

頑張ることができました。また、全国大会に2度も場することが出来、貴重な経験を積む

ことができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 これからはじめられる皆さんも、どうか3年間、最後まで頑張ってほしいと願っています。

必ず、人間的に大きく成長できると思います。


                        
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